年金

戦国三英傑の死に際に学ぶ?公的年金を繰り上げるか繰り下げるか

公的年金は受給者にとっては長生きするかそうでないかで損得が出てきます。近年、65歳を超えて働く人が多くなっていることから、年金を受給できる年齢になっても、当面は給与所得でやりくりし、年金は繰り下げて本当の退職に備えて年金を増やしたほうがよいのではないか、という考え方が出てきています。どう考えればいいのでしょうか?

執筆者:All About 編集部

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公的年金の繰り下げと繰り上げって何?

国民年金と厚生年金は原則として65歳が受給開始ですが、各人の生活設計に合わせて60歳から75歳の間で受給開始時期を変えることができます。

繰り下げにより、66歳から75歳までの間で受給開始を遅らせることができ、繰り下げ月数×0.7%の割合で年金額が増えます。(※昭和27年4月1日以前生まれの方は、繰り下げの上限年齢が70歳まで)

繰り上げにより、60歳から65歳になるまでの間で受給開始を早めることができ、繰り上げ月数×0.4%※の割合で年金額が減ります。(※昭和37年4月1日以前生まれの方の減額率は0.5%)

繰り下げと繰り上げの利用実態ですが、「厚生年金保険・国民年金事業年報」によると令和5年度末において国民年金(基礎のみ・旧国年の受給権者)で繰り下げが2.2%、繰り上げが24.5%と繰り上げの利用者が多くなっています。一方で厚生年金(特別支給の老齢厚生年金の受給権者を含まない)については、繰り下げが1.6%、繰り上げが0.9%と繰り下げの利用者がやや多くなっています。

長生きするかそうでないかで、もらえる年金に損得が出てくる!

繰り下げと繰り上げは年金財政全体では中立になるように制度設計されていますが、受給者個人にとっては長生きするかそうでないかで損得が出てきます。

これは、65歳時点での平均余命(令和5年簡易生命表では、男性:19.52歳、女性:24.38歳)まで生きるという前提で年金額の調整が行われているためで、平均余命より長生きできれば繰り下げは得で、そうでなければ損ということとなります。

近年、65歳を超えて働く人が多くなっていることから、年金を受給できる年齢になっても、当面は給与所得でやりくりし、年金は繰り下げて本当の退職に備えて年金を増やしたほうがよいのではないか、という考え方が出てきています。

繰り下げの是非!自分の余命は死の直前まで予測不能なので、繰り下げも繰り上げもすべきではない?

繰り下げの損得は自分の余命を予測できるかどうかにかかっています。

筆者は「自分の余命は死の直前まで予測不能なので、繰り下げも繰り上げもすべきではない」と考えるものです。

ここで皆さんもご存じの戦国三英傑がいつ自分の余命を悟ったか振り返ってみましょう。
戦国三英傑は、いつ自分の余命を悟った?

戦国三英傑は、いつ自分の余命を悟った?

織田信長の場合……余命を悟ったのは死の当日

最初は織田信長です。皆さんもご承知のとおり本能寺の変で自害しましたので、余命を悟ったのは死の当日ということとなります。当時、信長は全国統一事業の途上にあり、その前線は、西は岡山県、北は富山県、東は群馬県にあり、前線から遠く離れた京都は最も安全なところと言えました。

このため100名程度の近臣だけを引き連れ、京都に滞在していたわけです。油断もスキもない戦国時代ですが、毛利攻めに援軍予定の明智勢1万3000名が自分に攻めかかってくるというのは全くの想定外だったに違いありません。

もし、信長が自分の死を予見していたならば、せめて大事な跡取り息子である信忠には別行動を取らせるよう配慮していたはずです。しかしながら信忠も同じ京都に滞在のうえ、わずか数百名の近臣しか連れてきておらず、明智勢には抗しがたいと判断して同日に自害してしまいました。

豊臣秀吉の場合……自分の余命を悟ったのは死の3カ月前

次は豊臣秀吉です。秀吉は死の年の春に実施した醍醐寺三宝院の花見のあと、体調がすぐれず寝付くようになりました。自分の余命を悟ったのは死の3カ月前と言われています。この時、秀吉は五大老および五奉行に対して11カ条にわたる遺言状を出し、自分の死後のことを決めています。そして最後まで幼い息子の秀頼のことのみを案じて逝去しました。

自分の余命を早くから悟っていたなら、有力な後継者であった甥(おい)の秀次に死を命じたりせず、秀次を中心に秀頼を支える体制を作っていたはずです。秀頼の成人前の死は当人にとって想定外であったでしょう。

徳川家康の場合……自分の死を悟ったのは20日ほど前に全く食欲がなくなってから

最後は徳川家康です。家康は大阪夏の陣で徳川体制を確固たるものとした翌年、好きな鷹狩に出た際に、食中毒の症状を起こして倒れます。しかしながら日ごろから健康に留意し、周囲の医者よりも薬の知識を持ち合わせていた家康は万病丹という強い薬を服用し、いったんは小康状態となります。

しかしながら実際には胃がんだったようで、徐々に症状が悪化し、死の20日ほど前に全く食欲がなくなってようやく自分の死を悟ったとされます。それから形見分けをしたり、側近に将来の仕置きなどを遺言し始めたりしました。しかしながら家康の場合、信長や秀吉の場合と異なって、将軍職をとうの昔に息子の秀忠に譲り、江戸幕府の体制が既に盤石なものとなっていたことは当人にとって救いだったでしょう。

このように、「中世を終わらせ新しい時代の道筋を切り開く知力を有した」この3人をもってしても、自分の余命の予測は死の直前まで困難でした。まして市井(しせい)人の私たちが余命を予測しようなどということは、どだい無理な話であり、年金の繰り下げや繰り上げはやめておいたほうが得策なようです。

教えてくれたのは……
陣場 隆(じんば たかし)さん


京都大学法学部卒業、ペンシルベニア大学ウォートン校MBA、三井信託銀行入社、国際金融部、国際企画部、融資企画部付、年金企画部、年金資金運用研究センター出向、三井アセット信託銀行公的年金運用部次長、証券営業部次長などを経て2006年末に同社退社。2007年より年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)に勤務。調査室副室長、運用部長、調査数理室長を経て2020年定年退職。GPIF勤務の13年間で、運用機関構成の決定や基本ポートフォリオの策定を統括した。GPIFを定年退職後「今を生きる若い人たちに向けて年長者の知恵を伝えたい」という気持ちが強くなってきたため、執筆活動を開始
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