夫がうつでリストラされた
「大学時代から付き合っていた1年先輩の彼と結婚したのが27歳の時。私は生まれも育ちも東京で、2人とも東京で就職しました。彼の実家は西日本の小さな町で、彼自身、故郷に戻る気はないと言っていたんです」そう言うのはサトエさん(56歳)だ。その後、2人の子どもをもうけたが、33歳の時に夫がリストラされた。共働きだったから、夫には「主夫をしてくれてもいいし、転職先をゆっくり探すのもいいし」と慰めつつ励ましていたのだが、夫は「オレは東京では暮らしていけない」と言い始めた。
おそらく自信を喪失してしまったのだろう。夫のうつ状態は続いた。
夫の故郷に移住、想定外のトラブルが
「半年ほどたったころ、故郷に帰りたいと。私は離婚を考えました。でもこのまま離婚していいんだろうか、私も夫への愛情はあったし、子どもたちもパパが大好きだったし。夫の故郷に私の転職先があるかどうかも含め、数カ月、夫と話し合いました」どうやら何とかなるかもしれないと、夫婦ともども仕事の目処がついて、結婚7年たった時に4歳の息子と2歳の娘を連れて移住した。
「まずは住居費をかけないために夫の実家に居候させてもらいました。夫は次男なんですが、長男夫婦は親と合わないと別居していたので、家はあいていたんです。でも義姉の気持ちがすぐにわかりました。離れて暮らしているときは義母は“いい人”だったけど、同居してみたら口うるさいことこの上ない。子どもの教育にも口を出すし、箸の上げ下ろしまで文句を言う。夫も私も給料はすべて義母に預けなくてはいけなくて、私なんて月の小遣いが1万円でした」
このまま暮らしてはいけない。別居したいと夫に何度も伝えた。別居できないなら、この家のルールを新たに作ってほしいとも言ってみた。だが夫は、リストラされて戻ってきた身、親には逆らえない、我慢してほしいとしか言わなかった。
義母がキーキー叫んで泣き出した
義父も妻に対して何か言える関係ではなかったようで、家は義母の言いなりに動いていた。「なぜだかわからないけど、義母は子どもたちに私の悪口を吹き込んでいたんです。ママが働いているのはあなたたちのことが嫌いだからだよ、とまで言っていた。びっくりしました。幼い子にそんなことを吹き込むなんて。さすがに義母に、そういうことはやめてほしいと言ったら、義母がキーキー叫んで泣き出した。そこへ息子がやってきて『おばあちゃんをいじめるな』と私に食ってかかったんです。愕然としました」
あらゆる気力が萎えていった。夫とも話し合えず、サトエさんは子どもを連れて家を出ることを考えた。すると何かを察した義母が「出ていくんならあんた1人でね。孫は渡さない」と。夫は「いいかげんにしてくれ」と夜中まで帰ってこなくなった。
「私は何度も胃けいれんを起こし、挙げ句、十二指腸潰瘍にまでなって……。見舞いにきた実母が『とりあえず帰っておいで。あんたが命を落としたら子どもにも会えないから』と泣きながら言うんです。私も疲弊してしまったので、とりあえずひとりで実家に戻りました」
子どもに会いたい私、警察に通報する義母
少し体調が復活したころ、子どもたちに会いに行ったのだが義母は家に入れてくれなかった。小学校の前で待ち伏せしていると、義母から通報を受けたという警察に職質された。「離婚調停をしましたがうまくいかなかった。裁判まですると子どもたちが傷つくかもと思い、断念しました」
結婚から10年で離婚となった。それきり元夫とは連絡をとっていなかったが、5年前、突然、義姉から連絡があった。義母が亡くなったのだという。今さら葬式に出るつもりもなかったが、子どもたちがサトエさんに会いたがっていると伝えてくれた。
「義姉のおかげで子どもたちと連絡がつきました。実は息子が東京の大学にいることも分かって。直接連絡を取り合って会えたんです。大学入学前に、義姉から『お母さんが悪いわけではなかった』と真相を聞かされたそうです。会いたい気持ちはあったけど、それでも自分たちを捨てて出ていったことへの恨みもあって、なかなか連絡できなかったと息子は泣いていました。
私はずっと泣きっぱなし。『おばあちゃんが偏った人だというのは中学生くらいから分かっていた』『お母さんも大変だったんだね』と言われて、こんなにいい子に育ってよかったと思う半面、子どもに苦労を押しつけたような気がしてつらかった」
義姉は、「お母さんはあなたたちのために、ひとりで家を出た。そしてあなたたちが平穏に暮らせるように連絡をしてこなかった」と言い続けてくれたという。
共同親権があったなら
「義姉には足を向けて寝られません。義兄も弟に対して、しっかり子どもを育てろと応援してくれたそう。ずっとひとりで我慢してきたつもりになっていたけど、みんなに助けてもらっていた。生きていてよかったと思いました」その後、娘にも会えた。娘は現在、関西で仕事をしている。最初はぎこちなかった子どもたちとの関係だが、5年たった今ではわだかまりも薄まってきた。
「息子は東京で就職しています。月に1,2回は一緒に食事をしますね。娘は手に職があるので、いつか東京で暮らそうかなと言っています。私は今、働きながら両親を介護している状態ですが、こんな穏やかな日常が送れるなんて、あの当時は思っていなかった」
もし共同親権があったら、サトエさんは15年もつらい思いをしないで済んだかもしれない。夫婦は大人同士だから、合わずに離婚してもやむを得ない。だが、それによって片方の親子だけの縁を切り裂くようなことがあってはならないはずだと彼女はつぶやいた。