高校時代は私の弟分だった夫
「私たちは高校の先輩後輩なんです。私が3年生のときにシンちゃん(夫)が入学してきて、同じバレーボール部だった。普段は男女別々に活動していましたが、ときどき合同訓練があったんです。ひょろっとして線の細いシンちゃんをビシバシ鍛えたのが私でした」アミさん(40歳)は笑いながらそう言った。その後、アミさんが進学した大学に、シンちゃんも入学、ふたりともバレーボール同好会に入り、先輩後輩関係は続いていた。周囲からも「仲良し認定」されるくらいの2人だったが、少なくともアミさんは恋愛感情を抱いたことはないという。おそらくシンちゃんもそうだったはずだと自信を持って言った。
「そのころの私たちって、私が威張っていてシンちゃんが『はいっ』と言うことを聞く感じですよ。恋愛にはならないでしょ。舎弟というか、そうですね、聞き分けのいい弟分というのがいちばんしっくりくるかもしれない」
いて当然、気負わず何でも話せる。そんな特別な関係が崩れたのは、アミさんが就職して3年たったころだ。さすがのシンちゃんも、就職する会社までアミさんの後を追うわけにはいかないと思ったのか、まったく違う業種へとチャレンジしていた。
「彼が2年目に入ったころ、『もう無理かも』と気弱な声で電話がかかってきた。頑張れよと言ったんだけど、会社辞めたいの一辺倒。だったら上司に相談して少し休んで、ゆっくり考えなと言いました」
それでもアミさんは気になって、シンちゃんの実家におもむいた。当時、シンちゃんは父親と2人暮らしだったが、父親も息子にどう接したらいいか途方に暮れていた。まったくごはんを食べないんだよと、父親は困惑していた。
「仕方がないので、私が毎日のように通って、シンちゃんの好きなものを作っていました。明日の朝はこれを食べてと用意して。私、調理関係の仕事をしているので、そんなに苦ではなかったけど、ふにゃふにゃしているシンちゃんを何とか立ち直らせたかった」
弟分を男として意識し始めた理由
シンちゃんは勇気を出して上司に相談に行き、なぜかニコニコ顔でアミさんに報告に現れた。人間関係や仕事の振り分けなど、些細なことがひっかかって仕事に没頭できなかったのが、上司とゆっくり話しあったことですべて解決したらしい。「結局、2週間程度でシンちゃんは元気になってまた出勤するようになりました。彼は『アミさんのおかげで僕、勇気が出ました』と。その余波を買ってなのか、『結婚してください』と。結婚? 何言ってんの、あんたと私は一蹴しました」
ただ、シンちゃんのことが気になったのは確かで、それ以来、アミさんはシンちゃんを男として少しだけ意識し始めた。
結婚しても力関係は変わらない
シンちゃんの粘りがアミさんに伝わり、ふたりはそれから4年後に結婚した。アミさん29歳、シンちゃんが27歳だった。「結婚式はレストランで簡単なパーティを開いただけ。今後もよろしくという意思表示だけですね。その中で私、『もしシンちゃんと私が別れることになっても、顔も見たくないような離婚にはならないから、ずっと仲よくしてください』とみんなに言ったんです。そして泣いてばかりいるシンちゃんに、『ほら、シン! 泣いてる場合じゃないんだぞ』と言ったら、彼は『ハイ!』って。みんな笑っていました」
その後もそういったふたりの雰囲気は変わっていない。男言葉で指令を出すアミさんと、それを「ハイ!」と受けるシンちゃん。ただ、彼らを知っている人には当然でも、知らない人は一瞬ギョッとするようだ。
「31歳のとき双子を出産したんです。私とシンちゃん、ふたりで育休をとって。生後7カ月でちょうど保育園が空いたので、それからも協力体制を組んで仕事と家庭をゆるやかに両立させています。シンちゃんがすぐテンパるので叱りつけながら(笑)」
子育てを始めてから周囲がピリつく
保育園の行事に2人そろって行ったときも、泣き出した子どもに駆け寄って慌てふためくシンちゃんに、『シン、落ち着け!』とアミさんは声を張った。シンちゃんは、「ハイ!」と叫ぶ。周りが一斉に振り向き、笑っていいのかどうか判断しきれずにいるようだった。「シンちゃんに対しては、私、言葉遣いも口調も変えることができないんです。これを変えたら、ふたりの関係も変わってしまうような気がして。威張っていると誤解もされますが、私、決して彼ができないことをさせようとしているわけじゃないんです。家事もスパルタで鍛えたから、シンちゃんは立派にできるようになった。彼の可能性を、私が一番信用しているんだけど、他人にはもちろん分からないでしょうね」
他の保護者から、「ご主人に逆らったり命令したりするなんてあり得ない」とか「妻として夫を尊敬していないのか、偉そうに」と言われたこともある。だが、「そういうのって、夫婦間で上下関係を作っているだけじゃないですか」とアミさんは言い返してきた。
長い年月をかけて育んできた、2人ならではの関係がある。高齢になっても、「こら、シン!」「ハイ!」というやりとりができれば幸せだとアミさんはつぶやいた。アミさんが見せてくれた家族の写真では、シンちゃんの笑顔がいちばん弾けていた。