夫婦生活もできない8畳間での同居生活
同居後にわかったのは、彼の両親は最初から結婚するなら同居が条件だと言っていたことだ。彼は「説得するから」と親には言い、タカコさんには何も言わずに結婚した。妻なら自分の言うことを聞くと思っていたのだろう。「ただ、彼のマンションは彼が購入したものなんですよ。結婚後、そこに住むことになると思っていた私が早とちりしていたわけでもない。その後、彼はそのマンションを賃貸物件にしました。私は彼の実家で、とにかく窮屈な日々を送ることになったんです」
階下はリビングやキッチンなどと両親の寝室、2階は別の義妹の部屋と、タカコさん夫婦の部屋、小さな納戸があるだけ。夫婦の部屋は8畳程度で2階にはトイレもない。
「義妹が電話していると、何を言っているのかはわからないけど声は聞こえる。そんなところで夫婦の生活なんてできるわけもない。夫が夜、迫ってくると私はひたすら逃げていました。しかも当時はコロナ禍で、在宅で会議をしようと思ってもどこでしたらいいのか。しかたないので会社に話をして、みんなは週1回出勤なのに、私は週4くらいで出勤していました。出かけると『両親にうつさないようにしてくれよな』と夫に言われる。精神的にもおかしくなっていきました」
だんだんと、出社したときは実家に帰るようになった。夫から連絡が来ると「今日、感染したかもしれないでしょ。帰らないほうがいいと思う」と返事をした。
「母は心配してくれたけど、母自身もパートで働いていましたし、お互いにあまり干渉しあわない習慣があったので気は楽でした。人間って、どうしても居心地のいい場所にいたくなるものですよね。婚家に戻らなくちゃと思っても、週末はすべての家事をやらされるのがわかっているので帰りたくない。気がつくと足は実家を向いている。そんな時期が続きました」
「新しい年を、元の姓に戻って迎えたい」
とうとう夫がタカコさんに会いに来た。戻ってきてほしいと言ったが、「あの家では暮らせない。プライバシーもない」と彼女は突っぱねた。マンションを売って、実家をリフォームし2世帯住宅にすると夫は言ったが、一つ屋根の下に暮らすのはむずかしいと彼女は答えた。そう言ってみて初めて、自分がいかに同居をイヤだと思っていたのかがわかったという。「同居を拒んで離婚するというなら、それ相応の慰謝料を請求すると夫が言い出したんです。だったら最初から同居のどの字も出さずに結婚したのは誰なんだと言ってやりました」
結局、話し合いもほとんどないままに、「おふくろが離婚しろって言ってるから」と夫が言い出した。なんだかんだ言っても、自分より母親を選択したんだと彼女は悟った。
「最終的には慰謝料もないままに離婚ということになりました。離婚届は12月頭に私の手元にあったんですが、大晦日に提出すると彼には伝えてあります。新しい年を、元の姓に戻って迎えたかった」
考えてみたら、彼の実家で生活したのは2年のうち半年もないかもしれないと、彼女は妙に明るい笑顔を見せた。