

当時の主流はみかんむくの周辺とか、みぞるげ、あと演劇みたいな、なんだっけ、白塗りの、ああ忘れちゃった!NISHINの吉田さんには一度UKエジソンでお会いしました。エジソンの店員の方とも知り合いでした。こんな話じゃないか。ともかく、83年、八号倉庫にリザードか何かのバンドが来て、それを軽音のみんなで見に行った。僕は行きませんでしたけど。それが札幌ニューウェイヴの始まりなのかもしれません。
〔吉野〕 「ぎんがみ」、バンドとして評判は聞いてたんですが、87年に札幌に来た僕は音を聞いたことはないんです。今でも機会があれば是非聞いてみたいバンドです。当時の札幌ニューウェイヴのバンドって、割とマイペースでやってた印象が強いのですが、「ぎんがみ」の藤絵さん、東京を飛び越してイギリスデビュー!という希有な存在ですね。
〔三島〕 そうですね。イギリスでも一度お会いして当時のバンドのテープも聞きました。いかにも藤絵さんらしい曲でした。ミックス2000の時に札幌で凱旋ライヴをやりました。音源は聴いていないのですが、ステレオラブの人がリミックスしてたと思います。

〔三島〕 やぎは軽音じゃないですね。オブリガードというミニコミ関連だと思います。シチュエーションズもそうだと思いますね。
〔吉野〕 あと、白塗りで演劇やってた方は白塗りで舞踏やってた方は「なまこ法一とピンクケロイド」ではなかったでしょうか? なんかバイオリンの人が居て、演奏に合せて白塗りで全身からホースを生やした人が舞踏するという。何度か一緒のイベントに出演しました。
〔三島〕 それは知らないですね。シェッタガーリア*1です。けっこう人気あったと思いますね。
*1 小樽商科大学で始まったバンド。(シェッタガーリアのリーダーの山田光仁さんからの情報)
〔吉野〕 あ、そうですね。シェッタ。美形の方の白塗り*2ですね。リンクスは早すぎたアフターテクノポップという印象がありますね。ヒサエさんのパートは何でしたっけ?
*2 白塗の人は、なまこ法一で、暗黒舞踏の人で、シェッタガーリアのメンバーではありませんが当時一緒にやってた人です。(シェッタガーリアのリーダーの山田光仁さんからの情報)
〔三島〕 ヒサエさんはギターかな。リンクスの頃になるともういわゆるニューウェイブの時代じゃないですね。演奏はさすがにうまいです。
〔吉野〕 そして、リンクスの神山さんと、イスラエルでキーボードを弾いていた江口さんが組んでたのが、「Gore Gore Boys」ですね。企画モノのライヴでディーヴォのカバーをやってて、すごく良かった印象があります。
〔三島〕 Gore Goreは一曲録音を聴いたことがあります。さすが江口さんの曲ですね。オリジナリティがあります。